中間の礼拝それは午後の礼拝のことであると主張する人々の根拠
1巻 P.423-426
アリーはアフザーブの戦の日にアッラーの使徒が次のように語ったとして伝えている
「彼ら(敵)は太陽が沈むまで我々の気を中間の礼拝(午後の礼拝)からそらせてしまったので、アッラーよ、彼らの墓もしくは彼らの家もしくは彼らの腹(胃袋)を火で満たしたまえ」
ところで伝承者の一人シュウバは“家”“腹”の二語については(言及したかどうか)疑問視している。
同様のハディースが別の伝承者経路を経てカターダによって伝えられている。
しかし彼は“彼らの家と墓を…”と述べたが“家”と“墓”の両語について疑いをもたなかった。
アリーはアフザーブの戦の日に整壕の入口のひとつに座っていたアッラーの使徒が次のようにいったとして伝えている
「彼ら(敵)は私達の気を太陽が沈むまで中間の礼拝からそらせてしまった。アッラーよ、彼らの墓と彼等の家とを業火で満たし給え」もしくは「彼らの墓と彼らの腹を…」
アリーはアフザーブの戦の日にアッラーの使徒が次のようにいったと伝えている
「彼ら(敵)は私達の気を中間の礼拝つまり午後の礼拝からそらした。
アッラーよ、彼らの家と彼らの墓を業火で満たし給え」
それから預言者は日没後の礼拝と夜の礼拝の間にそれ(午後の礼拝)を(償いとして)行った。
アブドッラー・ビン・マスウードは次のように伝えている
多神教徒達はアッラーの使徒を太陽が赤くなるまでもしくは黄色くなるまで午後の礼拝から引きとめていた。
そこで預言者はこういった。
「彼ら(敵)は私達の気を中間の礼拝からそらした。アッラーよ、彼らの腹と彼らの墓を業火で満たし給え」
もしくは次のようにいった「アッラーよ、彼らの腹と彼らの墓に業火を詰め込み給え」
アブー・ユーヌス(アーイシャの解放奴隷)は次のように伝えている
アーイシャは私に彼女のためにクルアーンの写本を書き写すよう命じた。
そして彼女は私にこういった。
「あなたが「各礼拝を守れ、特に中間の礼拝を建厳に守れ」(第2章238節)の一節の前まで書き写したらその旨を私に知らせなさい」
それでその一節の手前まで達した時私はその旨を彼女に知らせた。
すると彼女は私に次のように書き取らせた。
『各礼拝を守れ、特に中間の礼拝と午後の礼拝を謹厳に守れ(注)、そして敬虔にアッラーの御前に立て』
そしてアーイシャは次のようにいった。
「私はアッラーの使徒からそのように開いた」
(注)ここでは中間の礼拝と午後の礼拝とは同一ではないようだが中間の礼拝の中味を不明確にしておくことによって却って午後の礼拝前後における信徒の勤行を一層促がそうとしたためか。
いずれにせよアーイシャはこの時点ではこの一節に取消し部分が後にあったということを知らなかった
バラーウ・ビン・アーズィブは次のように伝えている
クルアーンの一節「各礼拝を守れ、特に午後の礼拝を尊厳に守れ」が下りた。
そこで私達はアッラーがお望みのままにこの一節をその通りに読んだ。
それからアッラーはこの一節をお取り消しになり「各礼拝を守れ、特に中間の礼拝を建厳に守れ」(第2章第238節)と変えられた。
ところでシャキーク(伝承者の一人)と一緒に座っていた男が「それではそれは午後の礼拝を意味しているだろう」といった。
するとバラーウはこういった。
「私はあなたにこの一節がどのようにして下ったのかまたどのようにしてアッラーがそれをお取り消しになったかを確かに伝えましたよ。
いずれにせよそれはアッラーが最も良く御存知のことです」
さてイマーム・ムスリムは次のように述べた。
アシュジャイーはそれをスフヤーン・サウリーから伝え聞き、スフヤーンはそれをアスワド・ビン・カイスより伝え聞き、アスワドはそれをシャキーク・ビン・ウクバから伝え聞き、シャキークはそれをバラーウ・ビン・アーズィブから伝え聞いたがそのバラーウは次のようにいった。
私達はフダイル・ビン・アルズークの伝えるハディースと同様に、取り消し以前の最初の一節をしばらくの間預言者とともによんでいました。
ジャービル・ビン・アブドッラーは伝えている
ウマル・ビン・ハッターブがハンダク(塹壕)の戦いの日にクライシュ族の無信仰者達に向かって悪口を浴びせていた。
そして彼は預言者のところに来てこういった。
「アッラーの使徒よ、アッラーに誓って、午後の礼拝ができないままもう日が沈んでしまいました」
するとアッラーの使徒はこういった。
「アッラーに誓って私もまたその礼拝をしなかった」
それで私達は谷間へと降りて行き、アッラーの使徒は浄め(ウドゥー)を行い私達もまた浄めを行った。
かくしてアッラーの使徒は太陽が沈んだ後に(償いの)午後の礼拝を行いそれに引きつづいて日没後の礼拝を行った。
同様のハディースが別の伝承者経路を経てヤヒヤー・ビン・アブー・カスィールによって伝えられている。